空想考察

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僕が考えた家庭教師のある役割

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僕は6年間位家庭教師をしていた。

8年くらい英語講師をしていた。

生徒さんたちは下は小学生から上は高校生まで。

もちろん一番の役割は勉強を教えること。

けれど、それだけじゃ足りない事が多かった。

家庭教師を選ぶ子達にはかなりの割合で、情緒的に問題を抱えている事がよくあった。

不登校、学習障害、発達障害を抱えているように見受けられる生徒さんが多かった。

そして、僕自身発達障害を抱えていたので、比較的問題を抱えている生徒さん達との相性がよいようだった。

 

僕は生徒を叱らない。

叱って勉強が出来るようになることなどほとんどない。

僕が叱るのは人として困ることをしたときだけだ。

教えたことができないからと叱ることは、自分の教え方が悪かったことを認められない先生なのだと思う。


僕は基本的に、自分に学習障害の気があったので、人は一度聞いたくらいでは覚えないし、理解することは難しいと思っている。

一度教えてすぐにできる生徒に先生は本当は必要ないのだと思う。

 

 

 

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だから、僕は繰り返す。間違えた問題は出来るまでやる。

さらに、その問題は宿題にも出す。

その時に、欲を出して数字などを変えた応用問題にはしない。

せっかくの成功体験をまた失敗の体験で上書きしてしまわないためだ。


初見の問題は、絶対に僕がいるときにしかしない。

初見の問題を予習で出来る子には、もはや教師すら必要ない。

なので、僕は予習を宿題に出す教師なり先生はセンスがないと思っている。

なぜなら、教師や先生を必要としているのは、勉強ができない生徒達なのだから。

予習が出来る子はそもそも教えられることを必要としていない。

自分で出来てしまうのだから。


いけないいけない、話が大幅に逸れてしまった。


家庭教師ゆえに必要とされることについて書きたいと思う。

家庭教師が必要とされる状況は、主にマネジメントである。

よくある週2、2時間ずつで五科目の勉強を教えるのは、宿題を自主学習で出来るタイプで、わからないところだけ家庭教師に聞くスタイルの出来る子に対して行われるものである。

しかし、このマネジメントスタイルが適用できる生徒はかなり少ない。

本来このタイプの生徒に家庭教師は必要ないと僕は思っている。

家庭教師を本当に必要としている多くのタイプは、実は学習以前に「心を注がれることを必要としている」タイプの生徒である。


自分の事を見てくれる、お兄さんやお姉さん的な存在に飢えている場合が多い。

勉強が出来ても塾よりも家庭教師を選ぶタイプにもこの場合が多い。

こういったタイプの生徒を教える時にマネジメントスタイルを取ると、高い確率でトラブルになる。

需要が学習ではなく、情緒的安定を求められているからである。


特にこんな時に、わからないからと叱ると確実に深刻なトラブルになる。

情緒的に問題のあるタイプの子達は自信が無い子が多い。

だから、成功体験の積み上げが大切なのだ。


僕は教えるときに、足し算引き算や九九のドリルをよくウォームアップに使う。 (学習障害などが疑われる場合は、特にチェックをかねて行うとよいと思う)

ある程度出来ることで、自信を持たせて、勉強に対する苦手意識を払拭することが大切なのだ。

 

そして、一番大切なのは勉強以外の話でその子の話をしっかりと聞くことである。

すると生徒は、僕の事を信頼してくれる。

そして、信頼してくれると不思議と僕のために自主的に勉強し始めてくれたりする。

 

ここまで読んで頂いて、教えることは実は信頼関係のやり取りである側面があることに気が付いて頂けたら幸いである。

僕が生徒を信頼し、耳を傾け励ませば、生徒は僕のことを信頼してくれて、自主的にやる気スイッチを入れてくれるようである。


だから、僕は必ず生徒を尊敬することにしている。


それが例えどんなに小さな子供でも。


以上僕が考える家庭教師の役割をまとめると、『勉強が出来ようが出来まいが関係なく相手を尊ぶこと』である。


今日は記事を書いてはみたものの、言いたいことの十分の一程度しか書けなかった。

この記事にはまた後日修正を加えたいと思う。


では。本日はたまには真面目な記事を書いてみました。

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