空想考察

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双極性障害ⅱ私の場合

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山下秋桜

 双極性障害私の場合』
                
                   ヤマシタ アキヲ

 

*はじめに

 

この記事に目を留めて下さった方へ

はじめにどうしても気をつけてもらいたい事をひとつ。

どんな病気でも、最近はネットで調べ、自分で勝手に診断しがちです。

なにかオカシイなと思ったら、自分で勝手に判断せず、絶対にかならず医師の診断を受けて下さい。

ネットは病院ではありません。

医師でもないのに勝手に判断してはいけません。

この点を本当に心してください。

 

*つづいて

 

この記事が目に留まったということは、残念なことに双極性障害になってしまったか、家族に双極性障害の患者が出てしまった方でしょうか?

昔は躁鬱病と言っていましたが、今では双極性障害といいます。(つい最近双極症に変更になるようです。2019年4月追記)

確かに本当に厄介な病気です。けれど、正しい治療で上手くお付き合いしていくことも可能です。

家族側の視点や、患者側の体感経験などを中心に書きました。

この記事を目にした時点で、大変な時のはずです。

だから、読みやすさを心がけて書きました。

行間が広く多いのは、そのためです。

 

一  なんだかオカシイ

 

*兆しがチラホラ

 

だいたい発症前に、次の様な症状はありました。

でもその時はあまり気にしませんでした。

 

*なんか 寝つきが悪く、早起きに

 

寝つきの悪さは元々ありましたが、特にひどくなったのは二~三年くらい前からでした。

なので、普通の内科で、寝つきが悪いと言って、デパス位の身体にやさしい安定剤の様なお薬をもらってました。

朝の早起きは、発症半年位くらい前からはじまりました。

元々朝はなかなか起きられないタイプでしたので、助かったとすら思ってました。

 

*痩せて喜んでマシタ

 

これは発症二ヶ月位前くらいでしょうか?

特にダイエットもしてないのに、五キロほど急にスルスルと体重が落ちて喜んでました。

職場の同僚からも「痩せたね!」と言われて、有頂天になってました。

今振り返れば、ただの馬鹿です。

 

*だんだんシフト決定が難しく

 

シフト制の仕事についてましたので、半月毎に自分の希望シフトを紙に書いて出さなければいけません。

これに途中から本当に困るように。

ほんの二週間毎のシフトです。

普通なら十分~十五分もあれば書けるでしょう。

ところがいつの間にか、そのたった二週間のシフト希望の紙を書くのに、なんと二時間近くかかるように!

いつまでも事務所兼休憩室でアタマを抱えてシフトとにらめっこして私は、周りの同僚から不思議がられていました。

とにかく物事を決める事が大変難しかったのです。

 

*アレッ、ナゼカ断れない!

 

さらに厄介なことに、『断るということができない状態』になっていたのです。

できないことをたのまれても、断ることができません。

いわれるがまま、出来ようが出来まいが、何もかも引き受けてしまうのです。

例えそれが、どんな無理難題であってでもです。

この時点で、断るエネルギーが消耗しきっていたのです。

物事を断るには、思いのほかエネルギーが必要なのです。

 

二  発症までのカウントダウン

 

*金の計算をして時間の計算を忘れる


とにかく発症前の二年ほどは、おどろくほどお金の吹っ飛んでいく時期でした。

くわしくは、また後で書きますが、私の病気の発症の二年ほど前から、主人が病気で仕事ができない状態でした。

貯金を切り崩しつつ、子供がまだ小さかったので(上が四才、下が三才)、発症の二年位前から簡単なお昼のパートをはじめました。

しかし、一年ほどで貯金等もだんだん尽きてきて…。

これはいかんと、パートの仕事を夜まで延長してフルタイムにしても、やはり一家四人を支えるのには足りません。

主婦の普通のパートの時給ではどうがんばっても家族は養えそうにありませんでした。

どうしようもなかったので、正直離婚も考えなくもなかったですよ。

さすがに、幼子を二人抱え、さらに大人の男性を養い、結構な医療費に追われるわけです。

でも、主人は子供の事を考えて、それはどうしようも無くなった時の最終手段にしたいとの強い希望でした。

残された時間を少しでも長く、子供たちと過ごしたいのが、主人の強い願いでした。

夫婦関係、家族関係には実に何の問題もなく、至って良好な家族を構築出来ていました。

実際主人の、子供たちへの愛情は私のそれをはるかに上まっていました。

このような理由から、私は自分の病気の発症の約一年くらい前から、収入アップのためにお昼、夕方とダブルワークをはじめることに。

以前就いていた、夕方からの高時給(お昼のパートの軽く二~三倍の時給)の講師の仕事で、ちょうど講師に空きが出そうだったので、またそこで働くことに。

平日は午前中からお昼までパート、間で、保育園の送迎、教材作り研究、そして夕方前から夜まで講師の仕事。

それでもまだ、経済的に苦しかったので、お昼の仕事は土日はほぼフルで十二時間入るように。(講師は土日は休みだったので)

ハイ、この時点ですでにお金の事に気をとられて時間の計算までアタマ回ってません。

 

*なんか時間が足りない!

 

はじめたダブルワークでしたがなかなか予想通りにはいきませんでした。

講師の時給は以前より少しは下がっていましたが、やはりお昼のパートよりはだいぶ稼げます。

当初の予定では二ヶ月後には、拘束時間が短い、時給も高い夕方の仕事に一本化する予定でした。

しかしここで、なんと講師の再就職先での休職予定だった人が、急に勤務を辞めないと言い出しました。

なんと、おかげでダブルワークは延長に継ぐ延長。

その間、ジワジワと担当する生徒さんやクラスは増えていきます。

けれど、一本化するにはこれがまた、なかなかに微妙な担当クラス数や生徒さんの数なのでした。

だいたい二ヶ月後に一本化できるという予定で講師を引き受けたのですが、結局翌年までやることに。

その間ほぼ一年間、休日もほとんど無い状態でした。

一日平均で十二時間~十四時間の仕事での拘束時間。

朝八時位に家を出て、夜の十二時前に家に着くような状況。

そして、たまの休みの日にはだいたい子供が熱を出すものです。

 

*いよいよ時間が足りない!

 

そんな中、主人が体調がすぐれない中にもかかわらず、仕事を見つけて就職を決めてくれました。

 主人の仕事は、シフト制のフルタイム勤務。

シフト制で、残業ガッツリ有でしたが、お給料も福利厚生もちゃんとしているところでした。

やっと落ち着いてくる!と安堵した矢先に気づきました。

それまで、主人に頼りきりだった家事、子供達のお世話の時間を自分も工面しなければならないと。

ダブルワークを続けながら、家事、子供のお世話時間分担の捻出。

そんな中、夫は仕事に就いても、家事も子供のお世話もできうる限り、いえ、それ以上に本当によくしてくれました。

それでも、だんだんと子供の保育園の送り迎えの時間配分や、子供が病気になった時の対応が、とても困難になりました。

 

*最後の一撃

 

そのトドメを刺すように、町内会長まで回ってくる始末。

普通の方なら、「ダブルワーク辞めればいいじゃない。」とか「町内会長断ればいいじゃない。」と思われるでしょう?

けれど、さっきも書きましたね。

この時点でね、もう『断るということができない状態』になっていたのです。

*人生無理ゲー感
      
無理ゲーとは、構造的に無理があって、絶対に攻略ができないゲームの事をいいます。

この時点で、私のアタマの中は無理ゲーな気持ちでおおわれていました。

 

三  ついにその時が

 

*あら、声が出ません

 

三月のはじめのある日、急にお昼の仕事の人員不足で仕事の増量と残業に。

そのまま夕方からの仕事に出た次の日のことでした。

次の朝起きたら、なんだか声が出ないのです。せいぜい単語がポツ、ポツと単語が出る程度です。

主人がさすがにこれはおかしいと思ったようです。

 

*涙があふれてとまりません

 

涙がポロポロとまりません。

次から次へと流れでてきます。

自分で止めようにも止まりません。

もうタオルにずっと顔をうずめてました。

 

* 涙の理由がわからず混乱が止まりません

 

答えの出ない問題を解き続けてる気分。正にこれが一番近い感覚でした。

 

四  理由がわからない?

 

*ホントに理由が無かったの!?

 

今思い返せば、理由に心当たりがないこともなかったのです。

私がオカシクなるよりおよそ二年前の十二月三日の事、下の子が熱性ケイレンで救急車で、病院に運ばれました。

意識も無く、呼び掛けにも答えません。

病院に着くまで、呼吸停止の状態でしたので、酸素マスクをした状態で病院に着きました。

そのまま処置を頂き、呼吸は回復し、おぼろげながらも意識も回復しました。 

その後ICUに移り、そのまま入院に。

 

*こんな事ってあり!?

 

翌晩の十二月四日の夜、たまたま主人に下の子の容態が落ち着いた事を電話したところ、 「今上の子を救急車で連れて下に来てる!!」と、なにやらものすごく声が焦っています。 

あまり良く状況が飲み込めず、病棟の看護師さんに事情を話し、主人に呼ばれるがまま、階下の救急処置室へ。
なんと、そこに上の子も同じ症状で、同じ病院に運ばれてきました!

病院に運び込まれた時、上の子もまた、意識不明の呼吸停止状態でした。

処置後、同様に意識と呼吸はなんとか弱々しくも回復しました。

そして、今度は上の子がICUに入ることに。

私は二晩続けてICUの小さなベッドで子供眠ることに。(さすがに心配で、ほぼ寝れませんでしたね)

下の子は落ち着いていたので、この晩主人が下の子のところに泊まりこんでくれました。

こんなに人生で心配したことは、この時点で、はじめてでした。

幸いなことに二人とも、運ばれた翌朝にはICUを出ることができました。

それから、親子三人病院のベッドに十日ほど入院でした。

この入院で一番困ったのが、子供たちにおとなしくしてもらうこと!

だって遊びたい盛りですもの!

もう、とにかくあの手この手を使いました。

あと、地味に困ったのが保護者の食事や入浴。 

子供たちには病院食が出ますが、保護者は自力調達です。(出前はあったが、なんとも高い!)

子供達から目が離せないので、誰かお見舞いに来てくれた時に日持ちしそうなもの(カロリーメイトとかランチパックなどを)を調達しに行ったものです。

入浴は冬場でしたので、ウェットティッシュで何とかしのぎました。

まあねでも、これはまだほんの序ノ口だったのです。

 

五  ホントの心当たり

 

*マジで!?

 

そろそろ本当の心当たりを話しますね。

それは、子供たちが退院してから一週間後十二月二十一日くらいのことでした。

「お腹が痛い。」と訴える主人が検査を受けました。

結果、まさかの大腸ガン!

ステージ

中期レベルでした。

主人は自営業でしたので、失業保険などありません。

でも治療に専念してほしかったので、そこから約二年、貯金と保険だけでの生活に入ることに。(後に他の収入も入ります)

*さあこれが無理ゲー生活開始のワケ

さすがに貯金や保険金だけでは足りないので、私も自分の発症二年前からお昼のシフト制パートに。

子供二人は保育園にはすぐ入れず、まだ抗がん剤治療中の夫のことを考えたら、すぐにはフルタイムは選べなかったです。

しかしやっぱり、どうしてもお金が足りないので、私が発症する一年前から、夕方の講師の仕事に手をだして、ダブルワークをするように。

これが、ダブルワークをはじめたきっかけです。

主人は手術後の抗がん剤治療に加え、さらに腸閉塞も二回起こし、その手術が二回と立て続きに続きました。

ツラかった事だとおもいます。

 

*まだまだはじまり

 

さらにこの間に、上に書いたような、子供のケイレン重責での救急搬送が数回起きました。(呼吸が止まるので、車では間に合わない)

毎回毎回、呼吸停止、意識不明で本当に気が気ではありませんでした。

そして、だいたいそのまま入院です。

救急隊の皆さんには心から感謝しています。

 

*まだまだ続くよどこまでも

 

そして、大腸ガン一年位後さらに主人のガンは肝臓に転移しました。

どうやら、前回よりもはるかに大かがりな手術です。

その後も抗がん剤治療と定期健診は続きました。

この時点で夫のガンはステージ

末期レベルです。

とりあえず外科的治療も内科的治療も手を尽くしました。

後は再発しないことを願うのみになりました。 

 

*どんだけ!?

 

実は、私の病気の発症後もまた、主人のガンは再発しました。今度は七時間以上もかかる大手術になりました。 

若い分、がん細胞の活動も活発です。

よく転移してしまう訳です。
  
抗がん剤は終わりましたが定期検診は、はじめの大腸ガンの術後四年たった今も継続中です。 

主人のお腹は手術跡でザクザクです。

私自身も実は、主人のはじめの大腸ガン手術の一年前に胃を切除する手術を受けました。

胃を切除する一~二年前に帝王切開で二人の子を出産してます。

夫婦そろってお腹ザクザクです。

発症前と後、ざっと軽く見積もっても、七年で少なくとも十二回の入院や手術。

いろいろと続く時は続くものです。

 

*もう医療費どんだけよ!?

 

私がおかしくなる前の医療費は、およそ数年の間、毎月毎月、恐ろしい金額にふくれあがっていました。

とうとう私はあまりの医療費の金額の大きさに、大きな病院では積極的にクレジット払いを選ぶように。(でも選ぶのは翌月一括払いのみ)

金額が大きな分、ポイントが本当によく貯まりました。

返せるメドが、どう考えてもさっぱり立たなかったので、キャッシングなど恐ろしくて手が出せません。

結局のところ、実質お金を借りるメドすら立ちません。

さあ、もっとがんばらなくちゃ!と思っていた矢先。どうやら私の脳に限界がきたようです。

 

六  さあどうしよう!?

 

*オロオロ、オロオロ

 

さあ、ずっと泣いてるは、ろくに話せないではで、私も主人もオロオロするばかりです。

 私の言うことは支離滅裂状態なので、主人もどうすればいいのか途方にくれます。
 

*迷ってる場合ではアリマセン

 

とりあえずこれは、家でどうにかできそうにはありません。

ここまできたら、家にいてもどうもしようもありません。

専門家にかかる必要ことがなにより不可欠だと自らも判断しました。

主人も私の様子のあまりのおかしさから、すぐに精神科のある病院へ連れていってくれました。
 
*家族から見て

 

『事実は小説より奇なり』といいますが、短い期間の間に本当に色々なことが起こりました。

運が悪ければ全員死んでいても不思議ではありません。

そんななか彼女にとても大きな負担をかけてしまったことが悔やまれます。

真面目で頑張り屋な彼女は 周りはもちろん、自分でも気づかないまま自分の限界を超えてしまっていました。

このように大事になってから病院に連れていったのですが、今思い返してみると私の病気が発覚する前から無表情や無反応など兆候がみられていました。

当時はただ機嫌が悪いだけ、疲れているのだろう、と軽く考えていただけでした。

しかし、もう少し早く気付いて 病院やクリニックなど専門機関に相談しておけば、彼女の症状も軽く済んだのではないのかと思っています。

 

七  病院へゴー!

 

*人生初の精神科へ

 

ここほど敷居を高く感じた場所は、この時点ではありませんでした。(今じゃもっと早く行っとけば良かったと思ってます)

玄関に入る時点で人生最高の悲壮感に見舞われてました。

 

*なんとテストの時間です!

 

正直問題読むのもツラいところでした。(できれば、問診が良かったです…)

けれど、診察の為に検査のチェックテストを受けなければなりません。

簡単な文章を読んで選ぶだけなのですが、ほんのそんなことすらに難しい。

テストの文章問題の意味が中々アタマに入ってこないので、とても時間がかかりました。

正直これが簡単に出来るなら、精神科にかかる必要はないのでは…。

などと考えしまっていたワタシは、どうやらずいぶんと認知が歪みきっていたようです。

 

八  あわててはイケマセン!

 

*患者は不条理なコトを言う

 

この時点で患者はパニック状態です。

とにかく自分が思う通りにしてもらわないと、何もかもダメになると思い、独自な突拍子もない理論を言い出します。

 

*患者の頭は正常な判断なんてできません

 

今までどおりの人間に見た目は見えますが、中身は完全に別物です。

故障してバグを起こしたロボットとでも思って下さい。

 

*言うことを真に受けて行動するのは危険

 

コンピュータウィルスにやられたパソコンの様な感じです。

まともな答えを出せる状態ではありません。

とにかく自分が苦しすぎて、楽になるために強引な理屈をこねては自分の意思を通そうとします。

 

*でも本人はワガママ言ってる自覚はナイノ

 

患者は自分なりの理論でいろいろ考えて努力してきたつもりなのです。

でも、それが破綻した時点で患者としてはもう打つ手がないという絶望感の中にいます。

この時点で患者は自分の言っていることが常識外れのワガママだとは思いません。

みんながわかってナイ!とさえ考えていたりします。

 

*重要な決定はしてはイケナイ時です!

 

はい、ここ大事です!

この時点で、前述したように患者にまともな判断能力はありません。

なので、「もう、仕事に行けない!お願いだから、辞めるって連絡して!」等と言う患者さんも多いと思います。

でも、福利厚生がしっかりしている会社なら休職や有給もあります。

なので、決定を急がないで!

とりあえず家族の方は、一旦「体調を壊したので、一ヶ月程休みます。」と会社に連絡してください。

そして、患者には「会社には、ちゃんと言ったよ。」と伝えてあげて下さい。

そして、診察を受けお薬を飲んで落ち着いた位の頃に、改めて話し合ってみて下さい。

目安としては、鬱の場合でしたら、お薬が効いてくるまでだいたい、二~三週間位でしょうか。

期間的に無理、様子を見ていて無理そうだったら、いさぎよく辞職の旨を会社に伝えてください。

 

*ワタシの場合

 

この時期に重要な決定をしてはいけないというのは、私の経験談でもあります。

私は見事に失敗したからです。

自分のダブルワークをぶっちぎって辞めたのみならず、私はさらなる暴挙に出ました。

小さな子供を二人抱えていながら、家事どころか、子供達の世話すら全く出来る気すらしません。

正直に言うと、かわいいはずの子供達の声を聞くことすらツラかったのです。

自分のアタマの中で吹き荒れる嵐に、完全にのみ込まれてしまっていました。

そして、やっと見つけて就いてくれた仕事までも、主人に辞めてくれと強引に要求したのです。

あまりの私の狂気じみた要求を聞いて、主人は子供達を守るために退職を決心しました。

なんとなんとの、W失職です。

残り少ない貯金と保険金のみの生活突入です。

完全に常軌を逸していました。しかし、ここから主人のすごさを知ることになりました。

 

九  はじめからはよくワカラナイヨ

 

*最初は中~重程度の鬱からはじまった

 

検査の結果は中~重程度の鬱状態との診断でした。

先生は、パニック状態になっている私の統一性の無い話を、とても根気強くやさしく聞いてくれました。

少しばかり、入院も視野に入れても良さそうでしたが、とりあえず投薬で様子を見ることに。

 

十  大鬱状態

 

*人生において経験したことのないドン底

 

この時点で、はっきり言って私は子供のお世話すら完全に放棄して、ただひたすら暗闇の中、布団にこもるだけの日々が3ヶ月は続いたと思います。

主人がずいぶん配慮してくれ、お母さんを休ませてねとくりかえし子供達に説明してくれました。

また、子供達もお母さんが、病気だとそっとしていてくれました。

主人の作ってくれたご飯を食べ、あとはただ寝たきりの状態でした。

子供の顔すらよく見ていられなかった時期です。

 

十一 転換期

 

*治ったー!

 

そんな生活を数ヶ月ほど過ごした後、なんだかビックリするくらい動けるようになる時がやってきました。

お散歩に出られるようになったり、おしゃべりもできるようになったりしました。

ついに治った!これで元の生活に戻られると夫婦で喜びました!

 

*何やら変だぞ

 

しかし、だんだんとお散歩の時間はぐんぐんのびていき、気がつけば軽く3時間くらい近所を歩き回るように。

おしゃべりも止まらなくなり、母やら姉やらに電話してはペラペラ長電話するは、物静かな夫を捕まえては夜中まで話に付き合わせるように。

さすがにこれはやっぱりおかしいと、いつもは私の病院にほとんどついてこない主人が、「次の病院は俺も行く。」と言いました。

 

*先生からのお言葉

 

病院に行った日、私と主人からの症状を聞いた先生からは、それは治ったというより、躁状態だねと言われました。

そして、お薬の調整をしながらやっていくことに。

  
*結果

 

お薬を調整しながらやり過ごしていましたが、結局うごけない、頭はたらかない期間と、うごきまくり、頭の中がくるくるめぐりまくる期間があることがわかりました。

で、結果として『双極性障害型』の診断に落ち着きました。(

躁鬱病は今は双極性障害と呼ばれています。(双極症といわれるようになるようです2019年4月追記)

この病気ははじめからすんなりわかるものではありません。

だいたい精神科にかかるときは、鬱でうごけなくて困った時か、躁で周りを困らせて連れて行かれる時かのどちらかです。

よほど、前もって患者さんの観察日記でもつけていて、それを先生につぶさに説明できる場合でない限り、いきなりこの病名にたどり着くのは難しいと思います。

いろいろ調べましたが、やはりはじめは鬱病などから、この病気になることが多いみたいでした。

十二 躁鬱には二通りあるワケです

 

*激しいやつ軽いやつ

 

双極性障害には型と型があります。

型ⅱ型では躁の時に特にだいたいちがいがわかりやすいようです。

型の方が特に躁の出方が強らしいです。

*じゃ、もう片方は?

この記事で書くのは、双極性障害型です。

私の現在の病名です。

型とのおおよそのちがいは、躁の時の行動が小さところらしいです。

しかし、くわしい事は医師に必ず確認してくださいね。

私は医師ではありませんので、病気に関して責任を持った文は書けません。

この本で書くのは、あくまで私の体感経験に基づくものです。

ですから、同じ病名であっても私が書いているものとは違う事はあって当然だと思います。

その辺りを踏まえて、読み進めてください。

 

十三 鬱のとき

 

*カラダがうごかない

 

とにかく、西洋の重たい甲冑をまとっているかの様に、身体が重く動けません。布団に転がっているのが精一杯。

 

*アタマも働かない

 

とにかく記憶が飛びまくる。

物が覚えられない!

会って話した人の名前を聞いたのに五分もたたず、思い出せないことしばしば。

子供の小学校の懇談会にがんばって行ったのはいいものの、お母さん達の顔と名前がどうしても覚えられず、とてもツラい。

何度も名前を聞くわけにもいかず、本当に困りました。(いまだこれは治りません)

家族で出掛けても、その事自体がまだらボケ状態。

さすがに、このあたりで認知症に思いをはせました。

 

*こよなく闇を好む

 

とにかく、昼間でも部屋のカーテンをしっかり閉めて、光を遮断し、出来るだけ闇の中でもひたすら布団にこもってました。

たぶん光の刺激から逃げていたかのように思われます。

いまだに、体調が悪い時は、やはり闇にこもります。

 

*朝、起きられない。

 

生活のリズムが激しく乱れます。

朝起きる事が、もう困難で、困難でどうしようもありません。

まるで、バンパイアかコウモリのようです。

 

*アーアー、何も聞こえない

 

私の両親や姉や兄達が心配して、いろいろと調べてくれては、アドバイスをくれました。

その時、私がとった態度がこれ!

アー、アー、何も聞こえない!でした。

とにかくどんなインプットも受け入れられない状態。

そんな中私の主人は、私にはとにかく一切何も言わず、淡々と子供達のお世話を中心に、粛々と日常生活を続けてくれました。

 

*家事なんてムリ!

 

家事ができる、できない等というレベルではありません。

まともに思考ができない状態ですので、料理…ってどうやってたっけ?な感じでした。

たかが、カレーを作ることがまるで、小学生が大学受験を受けるかのごとく感じるのです。

 

*行動範囲は半径10メートル

 

動ける範囲は、布団を中心にして、台所(家事をするわけではナイ)、トイレ、がんばってお風呂までの半径10メートルくらいなものです。

 

*風呂など入れない

 

服の脱ぎ着も面倒に感じるくらいです。

風呂などハードルが高過ぎます。

夏場で仕方なくがんばって週2~3シャワー。

冬場なら平気で週1シャワー。

後は出かける前日だけシャワー。

不思議と水を避けます。

だから、お風呂につかることはしません。

なぜか水を嫌うので、台所仕事も洗濯も避けまくります。

 

*食べて排泄するだけの寝たきり状態

 

子供がいましたので、主人が見るに見かねて、すべての家事を引き受けてくれました。

その間、私は夫が出してくれるご飯を食べて、お薬を飲んで、後は布団にもぐりこんでました。

 

*激太り

 

食べて、あとはまったくうごかないので、恐ろしい勢いで体重が増加しました。

3ヶ月で14キロ増加という激太りでした。

身体が重くなり、ますますうごけなくなるという悪循環に突入です。

 

*ここから危険ゾーン

 

自分が生きている価値がワカラナイ!状態に。

進み過ぎるとご飯食べるのも億劫になります。

トイレに行くことが面倒に感じられ、水を飲むのもためらうように。

さすがにここまでくれば痩せます。

 

*末期的ゾーン

 

自分の身体が超分厚いラップでグルグル巻かれているように感じます。

世界とつながりが途切れた感覚です。

五感全てが激鈍化します。

赤ちゃんって、こんな感じなのかなと思いました。

そりゃ、泣くワケね。と。

指すらもよく動かないように。

意識はあるのですが、物事が認識しにくい。

おまけに、身体も思う様にうごかない。

それ以前に、身体をうごかす思考自体が鈍っているので、ほぼ転がってるだけ。

目の前にいる主人に、「私なんでココニイルノ?」と聞くこともありました。(頭の中では子供達含めアナタタチダレ?状態でした)

もう、ここまで来ると生きてるのが正直かなりツラい。

子供や主人がいなければ、本当に安楽死したいと願ってました。

 

*とにかく病院へ

 

やっとのことで病院に行き、先生にシドロモドロでポツポツと、自分の状態を説明します。

そして、お薬を調整してもらい、何とか帰宅。

あとは、お薬を飲んでひたすら布団にこもります。

 

十四 普通のとき

 

*なんと早起きができた!

 

お薬飲んで、布団ごもりの日々をずっと送っていたところ、ある日ふと身体が軽く感じる日が訪れました。

なんと朝の早起きができたんです!

それから、部屋から出て家族と一緒にすごせる時間が少しずつ長くなりました。

 

*あら、お料理ができます!

 

自ら進んで台所に行ってみたりし始めました。

あらっ?ゆっくりですが手がなにやら動きます!

まだもどかしいですが、アタマもはたらいてます!

やったー!ついに米が炊けました!

なんと!カレーもできました!

 

*スゴイ!他の家事もできます!

 

お皿洗いもスイスイと。

洗濯も気分がのってきます。

アイロンまでホイホイとかけるように。

おどろく事に、同時進行でいろいろな家事がこなせるように!

 

*お風呂にもすすんで入るように

 

あれほどの水嫌いがウソのようにお風呂に毎日入るように。

もちろん湯船に毎日つかって、アタマもゴシゴシ洗っちゃいます!

ドライヤーも楽勝です!

 

*普通に就職活動してみようかな

 

あまりに何でも普通にできるようになったので、主人に働きに出てみようかと提案してみました。

主人からは、「とりあえず数ヶ月様子を見て大丈夫だったらね。」とのお返事。(この時すでに彼は密かにある計画を実行していたようです。)

 

*安心してはイケナイ

 

そうです。

調子の良い時ほど、いろいろな行動を起こす前に、しばし待つことが賢明なこともあるものです。(そして、待って賢明でした)

 

十五 躁のとき

 

*鼻歌フンフン

 

調子の良い日々は続き、何から何までいい方向に向かっているな~♪と感じてルンルンでした。

だからでしょうか?

ある日、ふと夜中に真っ暗な部屋でイヤホンで音楽聞きながら歌っちゃってました。

思いのほかデカイ声だったようで、主人が部屋に駆け込んできました。

 

*なんかウキウキ

 

お料理が絶好調!新しいレシピがどんどんわいてきます!

料理のクオリティーがなんだかおどろくほど格段とアップしてきます!

家事がテキパキとどんどん進んでいきます。

考えずとも、身体がオートマチックでうごいていきます!

子供ともルンルンでお話したり遊んでみたり。

家族も大喜び!

 

*なんかソワソワ       

 

なにやらいろんな活動をはじめます。

やったことも無かった、ピアノとかはじめてみたりしました。

楽譜もわかるようになり、嬉しくてたまりませんでした。

 

*なんかペラペラ     

 

アラアラ、なんだかおしゃべりが止まりません。

ついつい外に出ては、会う人とお話することも多くなります。

完全におしゃべり病を発症していました。

無口な主人にものべつくしまなく、何かと話しかけ続けてはとても困らせました。

ついに穏やかな夫からも「少し放っといて!」と注意までうけるように。

 

*なんかイライラ     

 

オヤオヤ、なんだか不穏な空気がただよってきます。

何かに追い立てられるような気分です。

 

*ハイ、ここからは危険ゾーンです!

 

なんか叫びたい気分です。

アタマの中がいろんな事でいっぱいです。

オラオラ何でもかかってこいや!と荒らぶってきます。

 

*街角のカラオケ屋でひとり叫ぶ!

 

初めての独りカラオケで2時間さけびました。

そして、それでも気持ちがおさまらず、うごきまわり体調をさらに悪化させます。

もう、なんだかやりたいコトありすぎで食事を忘れます。

頭の中でいろんな考えがぐーるぐるです。

しかし、統一感が全くナイので収拾がつきません。

自分の欲求のまま暴走し、限界を忘れて活動し続けます。

興奮状態なのでしょうか?

なんだか動悸もパクパクとなんかはやいです。

そして身体の方が限界を越え、布団の上にぶっ倒れ、うごけなくなります。

限界を突破したので、食べる事すら疲れて出来ません。

ここまで来ると、噛んで消化するのがツラくなり、特に肉がキライになります。
肉がニクい段階です。

ひき肉や煮魚、豆腐や玉子料理を求めるように。

ここにいたり、老人の好む料理の意味が分かるようになりました。

介護現場での煮魚や茶碗蒸しの人気の高さの意味が理解できました。(噛まなくて栄養が摂れるから)

それでも、まだまだ自分アタマの暴走は続き、最後は水分すらマトモに摂らなくなります。

 

*もう病院の時間です。

 

さすがにこれはヤバいと自覚しましたので、病院に行くことに。

またまた先生にお世話になります。

鬱の時とは違って、疲れてはいても、スラスラと言葉が出てきます。

ただし、ギラギラとした目つきで、次々とベラベラ症状を訴えるので、聞く方の先生からしたら、大変だったかも。

そして、またお薬を調整してもらいます。(でもね、これがなかなか私がすんなり言うことを聞かないの)

で、あとはとにかく周りに迷惑をかけないようにと、お薬を飲んでお布団にこもります。

 

*それ以外よくあるらしい症状

 

(1)通信費が急に跳ね上がるらしい

とにかく誰かしらに電話したり、メールしたり忙しくなったりするらしいです。

私の場合、友達がいない事がこの場合幸いでした。

せいぜい無料通話できる、姉や母や兄たちが相手をしてくれました。(無料通話の相手を選ぶ辺りに、私のドケチ精神が垣間見えます)

しかし、一番の迷惑をこうむったのは、まちがいなく『物静かな主人』です。

とても申し訳なく思っています。

ごめんなさい。

(2)お金使いたい病を発症するらしい

欲求のまま、買い物やらギャンブルやらに、お金を使うらしいです。

足りなければ、借金してでもお金を使い続けることもあったりするそうです。

この点は、少しばかり、いやかなりヤバかったですが、私の骨の髄までしみついているドケチ精神が打ち勝ちました。

(3)彼氏彼女がなんかいっぱいできたりするらしい

性的な衝動を止めることが難しいこともあるらしいです。

これは私の場合、少し違うかもしれませんが、まあある俳優さんの出るドラマや番組を調べ上げて、全部録画して観たり、ネットで写真を見つけては、ニヤニヤと眺めているくらいですみました。

終いには夫が、呆れながらも見つけたら録画していてくれるように…。

 

十五 さあ、どっちが厄介デショ?

 

*どっちも共通して集中が続かない

 

読書なんかムリです。

どんな本好きも活字嫌いになります。

マンガですらもツラいです。

読むのはネットの掲示板の短文の集まり。

ちなみにそれすら、三行以上の文は飛ばして読みます。

ひどくなるとドラマですらツラくなります。

 

*鬱のときの厄介さ

 

だいたいは「鬱のとき」を参考にしていただければいいかと思います

とにかく自分が一番ツラいと思い込む。

世界で一番自分がツラいと思い込む。

周りの大変さまで気がまわりません。

このあたりが鬱の厄介でしょうか。

 

*躁のときの厄介さ

 

これも、「躁のとき」を参考にしてください。

まあ、まとめると。

『自分はとってもいい気分』

『周りはとってもハタ迷惑』

 まさにこれが間違いなく一番厄介なところではないかと思います。

 

十六 お薬のコト

 

*すぐに合う薬などなかなかない

 

患者になると、とにかくこのツラさからの早期解放してくれ!と先生に訴えます。

しかし、患者さんの身体によって、ある人にはすごく効く薬も、別の人だと全く合わないというのは、どんな病気でも共通してあることです。

特に精神科のお薬は脳に直接働きかけるものが多い訳ですから、先生方は慎重に症状を見極められてから、処方されるわけです。

というのも症状が変化したり、飲んだお薬の影響で患者さんの体調にも変化が出たりします。

その都度、様子をみながらお薬を調整してその患者さんに一番いい組み合わせを探していくのです。

精神科のお医者さんの仕事はまるで、人間の頭のチューニングをするような仕事だなあと、私は感じました。

 

*精神科あるある

 

「前に一度精神科に行って、もらったお薬を飲んだけど、良くならなかった。」という人もいるようです。

残念ですが、脳の病気は風邪などとはちがい、改善まで時間がかかります。
  
そして脳はとても繊細な場所です。

そうそう簡単に1回くらいで自分に合う薬に当たるのは、とても難しいと思います。

はじめから、時間がかかる事を覚悟して、先生とじっくり話し合って、自分に合う薬を見つけていきましょう。

 

*精神科あるある2

 

あと、「お薬ばっかりいっぱい出て、飲んでも治らないから、飲まない。」という人も。(精神科のお薬が怖くて飲みたくない人もここにはいるのかな?)

基本的には訴える症状に応じてお薬が出るようですから、ツラい症状が多ければ、お薬はやはり増えるでしょうね。

私も一時期かなり症状が安定せず、それに対応してもらうのに、お薬の種類が多かった事もありました。

しかし、私は『飲まない』という選択はしませんでした。

かわりに、飲んだら体調がどうなったか、メモをつけていきました。

私の場合ある薬を飲むと急激に太ったりしました。

別の薬では奇妙な夢ばかり見てあまり眠ったような気がしないように。

また別の薬では現実と夢の区別がつきにくくなったりしました。

さらに別の薬ではひどい立ちくらみを何度も何度もに起こし、ある日、つい急に立ち上がった時に倒れこんで何かの上に突っ伏してしまい顔面強打。

家族みんなの前でやらかしたので、かなり心配されました。

でも、私はその事をほとんど覚えてないのです。

ただ顔がとても痛かったです。

その後もまたある日、家の中で盛大にぶっ倒れ、硬いテーブルで腕を強打。

けれど、倒れた時のことはあまり記憶に無く、ただひたすら腕が痛いのでした。

しまいには、私のこの姿に心配した主人が、私が危なそうなときは、いつでも支えられるように両手をスタンバイするように。

この症状は結局のところ脳貧血のようでした。(どうやら、お薬が私の血圧と合わなかったみたい)

体格の割りに、血圧が低いというややこしい体質。

と、まあこのように、なかなかその人に合う薬にはなかなかめぐり会えないものです。

だから、あきらめてしまう人の気持ちもわからなくもないです。

けれど、私はどうしても家族のために良くなりたかったので、これらを逐一メモに残しました。

そして、それを通院の度、先生に報告して、薬を変えてもらったり、減らしてもらったり、増やしてもらったり、新しい薬を入れてもらったりと、いろいろとかなりめんどうくさい調整してもらいました。

これを何度も繰り返して、おかげさまでやっと自分に合う薬の組み合わせにたどり着きました。

お薬に関しては、簡単にあきらめたり、投げ出したりせず、根気よく探してみましょう。

周りの人の事も考えて、薬は飲んだ方が良いと私は思います。(でもごく最近、つい飲み忘れていたお薬の事で先生に叱られました…ちゃんと飲みましょうね)

 

十七 先生のコト

 

*怒らないでくれる

 

私の先生は、これまでずっと怒らないでくれました。

だから、途中で通院を投げ出さず、これまで治療を続けてこられています。

怒られてたら、私とても治療を続けられませんでした。

だって、怖い先生なら通院自体が苦痛でたまらなかったと思います。

 

*本当に辛抱強く耳を傾けてくれる

 

私は自分の先生の事を本当に心から尊敬しています。

いつも、クルクル変化する私の症状や言動にひとつひとつ耳を傾けて、必ず私の不安を取り払ってくれる言葉をくれます。

鬱の時の要領を得ない話でも、ひとつひとつ丁寧に、聞いてくれます。

躁の時のとりとめのない話の中でも、スッと大切なポイントをまとめて、頭の混乱をほぐしてくれます。

 

*いつも笑顔で接してくれる

 

実は、地味にこれに一番助けられてます!

私がどんな突拍子のない事を言っても、いつもフフフと笑顔で応対してくれます。

 

*ちゃんと自分の状態を言えますか?

 

先ほど、お薬のコトでも書きましたが、私は自分の体調や薬の事をかなり細かく言いますので、めんどうくさい患者だろうなと思います。

でも、それが言える、できるのは、私の先生がそれを受け止めてくれるからです。

先生によっては怒られたりするらしいです。

もしそんな先生だったら私は治療をとっくにやめてたと思います。

そして、どこかの大きな精神病院に入院しているか、もはや死んでいたかのどちらかだったでしょうね。

 

十八 病院のコト

 

*職員の皆さんがとにかく優しい

 

私の通う病院には、いつも綺麗なお花が欠かさず飾ってあります。

その綺麗な花に目が喜びます。

そして、職員の方が皆さんとにかく優しい!

先生方はもちろん、受付の方、事務の方、お薬を出して下さる方、検査の採血などをしてくださる看護師さんまで、とにかく皆さんが優しい。

そして、テキパキ仕事をこなしているのに、物腰は穏やかなのです。

あまり目立ちませんが、そういう姿にすごいな~と感じ入ります。

ついでに熱帯魚も気持ちを和ませてくれます。

私は今通っている病院で嫌な思いをしたことは、なんと一度もありません。
 
十九 入院のコト

 

*いまだ未踏の領域

 

ここは私にとって、いまだ未踏の領域です。

病院の規模によっていろいろちがいがあるようです。

まあ、だいたいの精神病院の入院と普通の病院の入院のちがいとしては、

・刃物、危険物、危険薬品(ハイターとかもダメだったりする)は持ち込み禁止(危ないからね)

・お金は病院に預ける(いろいろとトラブルになりますから)

・携帯などはだいたい持ち込み禁止

だから公衆電話で外部と話す

お金持てないから、まさかのテレホンカード使用!(なんといまだ、こんなところで役に立っていたのです!)

開放病棟閉鎖病棟がある

閉鎖病棟の中にはさらに隔離室もある

 

*入院の種類

 

(1)任意入院

(2)医療保護入院

(3)応急入院

(4)措置入院
(5)緊急措置入院

など、様々な入院形態があります。

下に行けば行くほど、閉鎖病棟や隔離室行きの確率があがるようです。

私の通う病院の入院は、私が見る限りは、普通の社会、家庭に疲れた方がゆっくり安静にするための入院といったもののようです。

なので、たぶん(1)だけかな?

一体どこまでのレベルのお部屋があるのかなあ?と少し興味はあります。

私の場合、主人が家で私を全力で安静にさせてくれました。

結局、家にいる状態で入院させてくれたのです。

 

二十 精神病と喫煙の関係

 

精神系の病気を患う方は非常に高い確率で喫煙者の場合が多いようです。

タバコを吸うと、一時的に気持ちが安定するらしいです。

そういうワケかはわかりませんが、精神科では入院しても喫煙はだいたい禁止はしません。

私、実は元々は一晩のたった二~三時間で一箱吸ってしまうほどのヘビースモーカーでした。

けれど、子供が出来て、病気やら何やらのなが~い節約生活に突入したおかげ様で、ワタシのドケチ精神は喫煙欲求にまさるようになってました。(そんなカネはナイ)

だから、今現在もタバコは吸いません。(たまに夢の中で吸ってるかな?)

入院していたら、またタバコを吸っていたかもしれません。(そういう意味では助かった)

ついでに、浴びるように毎晩飲んでいたアルコールも、妊娠と同時に卒業しました。(ビール1日3リットルが晩酌でした。ワインなら軽く1本くらい。これが毎晩!いくらなんでも飲み過ぎ!)

まあ現在はその代わり、キッチリお薬を飲んでおります。

さあ、一体どちらが身体に良いのか今度先生に聞いてみたいと思います。

 

二十一 睡眠との関係

 

*鬱のとき 

 

うごけなくなりますが、かといって寝つきは決してよくありません。

結局お薬で寝るようになります。

ただ私の場合、鬱のときは一旦寝るとなかなか起きられません。

正しくは起き上がれず、ただ転がってる感じですね。

 

*躁のとき

 

寝ません!

とにかく何かしらやりつづけようとします。

疲れないのではなく、疲れているのはわかっていながらも、ぶっ倒れるまでうごきつづけます。

ですから、日常生活をまともに送るために、かなり強めの睡眠薬で強制シャットダウンします。(まあ、無理やり寝るわけです)

パソコンと同じで、この強制シャットダウンは脳に悪そうだなぁ…。とは思っています。

でも、そうまでしないと、スイッチが切れない!

もうね、止まんないの!

だからお薬で無理やり寝るワケです。

それでも、翌日の寝起きは早いのです。

下手したら、強制終了に失敗します。

そして、すぐに布団から起き上がって何かやりはじめます。

 

二十二 仕事のコト

 

*やっちゃいました

 

これははじめの方に書きましたね。

まさかのぶっちぎり辞職です。

もうね、社会人として最低です。

この事は、本当にいろんな皆様に多大なご迷惑をおかけしたと、心の底から反省しております。

本当に申し訳ありませんでした。

 

*さらにやっちゃいました

 

これも書きましたね。

まさかの主人辞職への追い込みです。

これに関しては、もはや謝罪の言葉を言うことすらはばかれます。

会社にも、主人にも謝っても謝り足りません。

すみませんでした…。

 

*気をつけてください

 

皆さんはこのようにならないように、脳がパニックを起こしているときに、こういった大きな決断はしないでください。

一旦落ち着くまで、休職して様子をみることも大切です。

我が家で大失敗したことなので、あらためて書きました。

 

二十三 いろんな支援

 

*自立支援医療制度(精神通院医療)について

 

てんかんや、精神関連の疾患の場合、自立支援医療制度 (精神通院医療) というものがあります。

これは、役所から(事前に役所に連絡して窓口など確認するといいと思います)必要書類をもらいます

書類を全て揃えて提出して、役所の審査にとおれば、病院で払うお金が一割になります。

精神科のお薬は、どうしても高くなりがちですので、これはとても助かります。

三割負担だと、病気の種類、お薬の数、種類、期間によっては、一回の処方で五千円を越えることもありますね。(病気の種類や処方の期間によっては一万円オーバーもあり得る)

自立支援医療制度 (精神通院医療) のことは、知りたい時は必ず病院の窓口や役所の担当窓口に行くか、電話して聞いて内容を確認してください。(制度がかわっていることもあるかもしれないから)

患者さん本人が申請したりできない時は、家族の方にお願いしましょう。

 

*高額療養費について

 

高額療養費は、一ヶ月に一医療機関に支払った家族全員の金額が、所定の金額を越えた分の負担が無くなったりする制度です。

一ヶ月の上限金額は、世帯の所得により段階的に変わります。

所得額少ないほど、上限は低くなります。

ただし、病院がちがったりすると効かないときもあります。

あと、通院と、入院は別に計算になりますので、そのあたりはしっかり役所や病院窓口で確認して下さい。

とりあえず、家族が入院した場合は、すぐに役所に行ってこの手続きをするといいと思います。

おそらく高額療養費の証明証のようなものがもらえると思います。

これを病院に出しておくと、退院の時の払うお金が、高額療養費の上限までになります。

月をまたぐと、また別計算になりますので、こういう点もよく役所で確認してください。

この制度も必ず役所の人にくわしく聞いて、内容を確認してください。(これも、制度がかわってたりするので)

 

*障害年金について

 

初診日から一年半しても、病気の改善が見られない場合、国民健康保険国民年金の未納が無ければ、障害年金を取得できる場合もあります。

障害年金の事も、役所や病院で必ずくわしく確認してください。(前の二つ同様、制度がかわってるかもしれません)

 

*介護支援について

 

私は結局、外に出られないからご飯の買い物もできない状態になりました。

その間に主人のがん再発で入院してしまい、困り果てていたとき、見かねた役所の方が介護支援の利用を薦めてくれました。

面接、審査もなんとか通り、介護のお買い物支援を受けられる事になりました。

おかげでなんとか食べるものは手に入るようになりました。

これも、やはり役所でくわしく聞くことが大切です。(この辺りの制度は、本当にしょっちゅうかわりやすいのです)

改めてかきますが、ここで書いた支援等については、病院や役所などで必ず聞いて確認してください。

私は専門家ではありません。

ただの一病人です。

 

二十四 お金のコト

 

これまでのことをお読みいただければ、お金に困っていたことはご理解いただけると思います。

ただ、我が家の場合は主人がブログで稼ぐというウルトラCをやってのけてくれたので、なんとかなりました。

職業訓練所でキーボードの打ち方から学習して、自分で1からワードプレスでサイトを構築して、SEOや、キーワード選定など研究してアフィリエイトサイトを運営していました。

職業訓練所でキーボードの打ち方を学習してから、アフィリエイトサイトの運営まで半年くらいでやってのけました。

ワードプレスで運営していましたが、英語でこまっても私に聞くこともせずに、グーグル翻訳で自分ですべてやってのけていました。

 

二十五 主人はどうやって稼いでくれていたのか

 

主人は私の雑記ブログとは異なり、特化系のブログを運営していました。

記事数はゆうに1000は超えていたと思います。

毎日朝9時から11時まで、13時から17時までと時間を決めて、サラリーマンのように記事を書いたり、ブログの研究やメンテナンスを行っていました。

ちなみに1記事あたりの文字数は1000文字もなく、はっきりいってキーワード選定とSEO(ホワイト)だけで稼いでいたようです。

くわしいことはあまり教えてくれませんでしたが。(というか、聞いてもよくわからなかったです。なんか、エイチニコミダシがどうとか言ってました。)

あと、主人のブログは画像が多くて、見やすかったです。

 

二十六 食事のコト

 

*体重の増加ペースにビビる 

 

「鬱のとき」でも書きましたが、食べられる段階で、動けない時の体重の増え方には恐ろしいものがあります。

 

*なんかダイエットとかしてみる

 

恐ろしいほどの体重増加にビビり、これはイカンとダイエットします。

基本的にうごけないから、食べないだけです。

そして、もっとうごけなくなります。

もうどうすればいいのやら。

 

*いきなり体重が減り始める

 

ある時から、いきなり体重が減り始めました。

トータル18キロ減りました。

何か別のヤバい病気かと、夫と心配しましたが、どうやら躁に振れたからのようです。

躁になって、食べることよりやりたい事で頭の中がいっぱいで食べる事を後回しにしたからです。

 

*はたしてどちらが良いのやら

 

食べた方がいいのか、食べない方がいいのか、いまだにわかりません。

ただ、いつどちらになるかわからないので、服に困ります。

ですから、やせてくる時期は特にどんどん服が合わなくなってくるので、服に合わせるために、がんばって食べるようにします。
     
私の場合躁に振れると、睡眠と食事に対する興味が極端に無くなります。

だから、食べることはかなり努めて努力します。(でもね、結構忘れる)

イチイチ服を買い換えるお金はありませんし、躁のときに買い物するのは、お金使いたいスイッチが入るのでヤバいです。

だから、意外なところで地味にベルトが必須アイテムになります。

 

*いずれにしろ、進行が進むと食事が面倒に

 

いずれの場合も進みすぎて、消耗しきってしまうと、噛むことすらイヤになります。

少しの消費エネルギー(あまり噛まなくてよい)で、エネルギーになるチョコレートが手放せない。

ひどいと、そのチョコすらも食べない。

もう最後の方は点滴で、栄養を摂りたいとすら思ってました。

後、尿管チューブまであれば最高だとすら考えるようになります。

 

二十七 家族(主に主人)がしてくれたコト

 

*とにかく心配してくれた

 

とにかく心配して、様子がおかしかったら、すぐに声をかけてくれました。

*とにかく普通に扱ってくれた

 

主人は努めて、私を普通の人間として扱ってくれました。

こんな厄介者である私の事を子供達に悟られないように、細心の注意を払ってくれました。

 

*とにかく優しかった

 

人間生ゴミ状態になったり、人間迷惑製造機になったりする私に対して、声を荒らげたりしたことは、ただの1度もありませんでした。

困った点があったら、淡々と冷静に指摘してくれました。

 

*家事全部をしてくれた

 

私が全くうごけなくなってしまい、できなくなった家事を、全て引き受けてくれました。

主人の家事スキルはおよそ2年の間で、恐ろしい勢いで、みるみる上がっていきました。

元々、建設関係の仕事での自営業でしたので、仕事の段取りなどのスキルがありましたので、家事でもとにかく効率的です。

私の家事の最後の砦は、揚げ物と、魚さばきとお裁縫くらいしかありません。

 

*手続き全部をしてくれた

 

この病気になった私に、介護保険自立支援医療等の申請書類を理解することはできませんでした。

先ほども書きましたが、『とにかく字が読めない!』のです。

これ、天涯孤独で私のような病気の人は絶対申請できないように思えます。

なので、私の場合これも結局、全て主人がやってくれました。

家族がいてくれて、本当にありがたかったです。

ここまで書いて思いましたが、主人はよく私を窓から放り出さなかったなあと思いました。(我が家は五階です)

 

*とにかく安静にさせてくれた

 

家にいながらにして、入院生活と同じような生活を送ることを許してくれました。

子供達にもそっと、「お母さん疲れてるから休ませてあげてね。」と声かけしてくれました。

 

*どうでもいい話を長々聞いてくれる

 

私は友達がいなくて、夫が親友でもあるので、何でも主人に話します。

でも、主人は元々とても口数が少ない人です。

躁状態の私の話が、一番彼のストレスになりそうですので、今は私自身、自分が躁にならないように全力で気をつけてます。

 

*褒めてくれといえば褒めてくれる

 

これ本当にうれしいのです。

元気になっていろんな事ができるようになってくると、「○○ができた!」とつい主人に報告してしまいます。

そのまま、「ふ~ん。」で流しても良いと思うのですが、だいたい「がんばったね!」と褒めてくれます。

 

*とにかくあたたかい

 

主人だけではなく、子供達もなんとなく何かを感じとっていたのでしょう。

みんな、優しく見守ってくれています。

 

二十八 患者自身のトリセツ

 

*自分分析

 

できる時に軽いメモでもつけて、自分の体調の変化に気づきやすくしましょう。

これは、自分のためでもありますし、周りの人たちのためでもあります。

病院の診察の際の参考にもなります。

 

*メモ帳を重ねてみたら厚さ7センチ!

 

私の場合、安定しているときはあまり筆が進みません。

しかし、何かのスイッチが入ると、延々と文を書き続けます。

どんどん書く量は増えていき、メモ帳もどんどん増えて行きました。

ある時、何気なしにメモ帳を重ねて厚さを図ると、その厚さは7センチに達していました。

たぶん、ほんの1ヶ月位で書いたメモだったと思います。

中に書かれていたのは、ろくでもない負のエネルギーに溢れた文ばかりでしたので、怖くなって捨ててしまいました。

しかし、このメモ帳の厚さと、中身のヤバさが私に双極性障害の怖さを気づかせてくれました。

 

二十九 家族からみた患者のトリセツ(ここは主人に書いてもらいました)

 

*どちらもあまりかわらない

 

躁状態でもうつ状態でもやっかいなことには変わりません彼・彼女らの言動、行動に必ず振り回される可能性は高いです。

家族だけではなく、ご近所など周囲に迷惑をかけてしまう可能性もまたあります。

例えば、躁状態の時に出かけて誰かと約束事をしてきて、いざその時になったら
うつ状態になってしまっていたり。
うつ状態で断ることができないという症状の時もある)

うつ状態の中、がんばって外に出ても、PTAや町内会の役員等を引き受けて帰って来た日には目も当てられません。

もちろん本人は当然悪気でやっているわけではないのですが、第三者には病気の事は説明しにくいし、他人がそうそう理解できるわけではありません。

なかには「甘えているだけ」「いいかげんな奴」と病気の存在から否定してくる人もいます。

確かにこればかりは実際にかかわってみないとわからないでしょう。

社会に今一つ理解されていない中で、後始末をしてまわるのはとても大変な事だと思いますが、ある程度家族としては自分の中で割り切っておくしかありません。

あまり思い悩み過ぎると家族まで病んでしまう可能性もあります。

考えないというのは無理なことですが、気をつけておかないと、やはりストレスは知らず知らずのうちにたまっていくことでしょう。

そして、どこが限界値など分からないので、家族までもが、少しずつ病んでいってしまいそうになります。

精神の病気は身近な人も病みやすいと聞いたことがありますが、大きな原因の一つはこれではないでしょうか。

全ての要求を受け入れず、毎日二十四時間つきっきりではなく多少なりと距離を置くことがお互いの為に必要だと思います。

 

*必要なのは聞き流す力(割り切り)とガス抜きと協力者

 

私の友人や知人には家族が精神症で、一緒に暮らしているうちに自分もうつ病になってしまった人を何人か知っていますが、いずれも責任感が強いひとたちでした。

それ故に背負い込み過ぎて、潰れてしまい自身もどうにもならなくなってしまったのです。

なかには自殺してしまった人もいます。

そしてその原因となった家族の人は、その後ふらりといなくなって数か月後に近くの林の中で白骨化していたのが見つかりました。

時には少し距離を置いてみる事も大事だと思います。

そうでなければ患者はあなたに依存しすぎて病状を悪化させ、あなたも発症する、という悪循環を引き起こしかねません。

少なくとも自分だけでしょい込もうとはしないで下さい。

親戚や気の許せる友人・知人。あるいは福祉など公共の機関に力を借りましょう。

それがあなたにとっても患者にとっても最善の道になるはずです。

 

三十   自覚ありますか?

 

*自分で自覚できますか?

 

鬱は自分がとてもツラいので、自分でもとてもわかりやすいです。

ところが躁の場合、自分がとても気分が良いため、なかなか気づきません。

そして、調子に乗り続け周囲に迷惑を撒き散らしながら悪化していきます。

やっと、自分の身体が悲鳴をあげてツラくなった時に、自覚するのです。

躁に入った時は、とにかく早めに自覚することが大切です。

 

三十一 日常生活を送るために

 

*かなり時間がかかる覚悟を

 

お薬飲んだらすぐ治るような病気ではありません。

一生お付き合いする気持ちで治療にのぞむくらいでちょうどいいかと思います。

例えば、生活習慣病とお付き合いするのと、同じようにとらえるといいかもしれませんね。

 

*病院にはちゃんといくコト

 

定期的に病院に行くことをキチンと習慣にしましょう。

自分の躁鬱状態の期間の把握がしやすくなります。

 

*先生の言うことは聞きましょう

 

「治らない!」と嘆く前に、先生の言葉にしっかり耳を傾けているか、自分に問い直してみましょう。

私の場合、自分がツラいときは、その事を言うことで忙しく、先生の言葉があまりアタマに入ってこない事がよくあります。

わかってはいるのですが、これが結構難しいですね。

気をつけたいところです。

 

*お薬は素直に飲みましょう

 

鬱病の薬などは、飲んで効いてくるまで、二週間くらいはかかるものも多いようです。

それも、自分に合う薬にすぐ出会えればいいのですが、これがなかなか結構時間のかかるものなのです。

とりあえずは素直に飲んでみて、どうだったかを受診の度に伝えて、合う薬を探しましょう。
 
自分に合う薬に出会えれば、とにかくまず、自分が楽になりますし、さらに周りも助かります。

私はおかげさまで、自分に合うお薬の組み合わせを先生に見つけて頂いて、ようやく今、普通の日常生活を取り戻しつつあります。

 

三十二 鬱のときのおすすめ対処法

 

*鬱かな?思ったらすぐ病院

 

何か気分がすぐれなくて、調子が悪いな?思ったらすぐに病院に行きましょう。

特にお薬が手元にない状態などには絶対にならないように気をつけましょう。

本当にこれだけは、絶対に気をつけてください。

 

*うごけないなら大人しく寝ておく

 

お薬が効いてくるまで、大人しく寝て待ちます。

ツラいどんよりした顔を家族に見せて心配させるくらいなら、布団ごもりを続けます。

子供の顔を見たときにとにかく笑えるようにエネルギーをひたすら蓄えます。

 

*自分なりの回復法をさがす。

 

私は消耗したときは、ひたすら部屋を真っ暗にして布団にこもり、刺激を遮断してます。

あとは、気分転換に明るめのドラマを選んで録画してはそれを観てみたり。(あくまで、できるなら)

 

*たまには日光浴しましょうね。

 

気分のいい日はカーテンをザーッ!と開けてお日さまを浴びます。

 

*時の流れに身をまかせ

 

後は、少しずつ布団エリアから活動範囲を広げていき、うごく量をふやすように努力します。

残りは薬が効くまで、時の流れに身をまかせます。

 

三十四 躁のときのおすすめ対処法

 

*躁かなと思ったらやっぱりすぐ病院

 

躁の時に自分で気がつくのはとても難しいです。

なので、私は身近な人の言葉に耳を傾けるように特に心します。(要は自分をあまり信用しない)

やはり専門の先生に判断してもらうのが一番安心です。

 

*楽しい刺激から遠ざかる

 

これは、自分で体感して危ないなと感じたことです。

躁のときは、特に嬉しいとか楽しいといった刺激に気をつけなければいけません。

躁のスイッチが入り、さらなる躁状態になり、暴走してしまうことが、私にはありました。

難しいとは思いますが、意識してこういう刺激を避けるほうがいいかなと感じました。

 

*とにかく周りに迷惑にならない趣味を

 

私の場合シャウト系ロックをイヤホンで聞いていました。

たまに歌ってしまうのが少し困るけど、とりあえずは黙る事ができます。

 

*おとなしくお薬飲んで籠っとく

 

結局、先生に出された通りに薬を飲んでおこもりします。

自分のことも、周りの迷惑も考えての事です。

 

*携帯のメモ帳がバグる事を知ってみる

 

ある躁エピソードの時、落ち着かない心の叫びや自分なりのいろんな主張また妄想を、携帯のメモ帳にひたすら延々と綴っていきました。

紙から携帯に進化しました!

ところがある日、メモ帳が書くことも消すことも出来ない状態に。

限界文字数を超えてたようです。

さすがにビックリしました!

なんと携帯のメモ帳がバグっちゃいました!

そして、そのバグを解消するため、一文字ずつ消したり、消したら直ぐ保存を繰り返したりと、修復に大変手間がかかりました。

ちなみに私のケータイのメモ帳の限界文字数は1ページ、だいたい二千文字くらいのようでした。

足りないので、一日におよそ三~五ページは使ってました。

今は長い文の時はGmailの下書きを使ったりします。(Gmailなら、1メール限界文字数が125万字くらいあります)

ただ、さすがに1万5千字を越えてくると、携帯の反応がものすごく遅くなるのが残念なところです。

まあでも、この趣味なら人の迷惑にもたいしてならず、自分もなんかすっきりします。

ついでにおとなしくなるので、特に躁状態の時には、書くことは一番のおすすめの趣味です。(だけどね、やっぱりやり過ぎは厳禁!)

 

三十四 現在の私

 

現在の私は、まだ体感的には寿命の切れた充電バッテリーのような感じです。

以前のようなフル充電の感覚でうごくと、すぐにバッテリー切れを起こしてしまいます。(バッテリーが切れたら回復に三日くらいはかかる…)

そして、充電しても、しても、いつも黄色の状態までしか充電はできない模様。

それでも、はじめの頃に比べればはるかに良くなったと思います。(はじめは電源すら入らないような状態でした。

ここまで来るのは随分かかりました。

だいぶ、人の言葉に耳を傾けられるようになり、自分のコントロールをできるようになってきたなと感じています。

それでもまだやっぱりいろいろと、失敗はやらかしてしまいます。

なんとか、この病気と上手くお付き合いする方法をずっと模索していきたいと思います。

 

*最後に

 

最後までおつきあい下さった方へ。

気がつきましたか?

これは躁状態患者の文です。

鬱や普通の時はこんなこととても出来ません。

私の場合、たまたま表現欲求につながっただけです。

荒々しい文になってないか、こまめに主人にチェックしてもらいました。

厄介な躁ですがそれも使い方しだいです。

まあ、途中で波もありましたので、中々筆が進まないこともありました。

それでも、ひとつの物として書き上げる事ができました。

きちんとした、治療と投薬により、社会復帰も可能になる病気です。

ちゃんと先生のアドバイスを聞いて、お薬を飲み、生活を見直し、自己分析をしながら、根治はなかなか難しいでしょうが、 完寛を目指しましょう。

私も周りに迷惑かけず、早く社会の役に立てるようにがんばりたいと思います。
  

                          2014

 

2019年4月4日追記

 

主人は昨年永眠いたしました。私は主人には感謝しかありません。

パパ、本当にありがとう。